縄文人のメッセージ

釈迦堂遺跡博物館で縄文時代の人々のメッセージを感じてきました。

縄文時代は約1万年にわたる長い平和な時代であり、当時の日本列島は温暖で湿潤、豊かな自然に恵まれていました。人々は狩猟採集生活を行うだけでなく、栗などの半栽培や交易も行っており、芸術品ともいえる土器や土偶も残しています。ある程度の余裕を持った生活をしていたのでしょう。竪穴式住居の集落では助け合って暮らし、自然と共生しながら、コミュニティを大切にする生活を送っていたのだと思いました。彼らの遺した多くの遺跡や遺物は、縄文人が築いた文化や生活の豊かさを今に伝えています。

私たち現代人は縄文人と同じ日本の国土に住んでいるのですが、どのような関係なのでしょうか?

パレオゲノミクスと呼ばれる、古い生物遺体から生物の全遺伝情報を抽出して比較解析する研究手法によって、ここ数年で明らかにされたことは、日本人の起源の定説を覆すものです。

これまでは、日本列島に住み着いていた縄文人に、大陸からの渡来集団が混血して弥生人となり、現代の日本人につながったとする二重構造モデルとされてきました。しかし、列島の遺跡から出土した縄文人・弥生人・古墳時代人のパレオゲノミクス解析で、現代における日本人集団のゲノムが3つの祖先集団で構成されていること、つまり日本人の三重構造モデルが新たに提唱されています。
パレオゲノミクスで解明された日本人の三重構造弥生時代終わりの卑弥呼がいた3世紀中頃に魏志倭人伝に記された習俗などが、古墳時代に入る「空白の4世紀」を経ると激変したことに関係がありそうです。例えば入墨をしなくなる、銅鐸や銅剣銅矛祭祀が消える、牛・馬の登場、巨大な古墳が築造され始める、そして大和王権の確立・・・

当時の中国はといえば五胡十六国となっており、北方の異民族の流入もあり大混乱の時代で、東アジアから膨大な難民や移民が古墳時代の日本に押し寄せたのでしょう。それが現代日本人へと続いているのです。

釈迦堂遺跡博物館を見学して編集した動画はこちらです。ご視聴頂いて縄文時代の人々のメッセージを感じてください。

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